青山テルマ「ママへ」と森進一「おふくろさん」
妙な比較をするものだと思われるかもしれない。しかし、青山テルマの「ママへ」を聴いていて、森進一の「おふくろさん」を思い出したのである。同じく「母」を歌った歌である。が、この母親像の違いは何なのだろう?
もちろん、世代が余りに隔たっている。違うのは当たり前である。と、そう言ってしまえば身も蓋もないのだが、この違いはちょっと立ち止まって考えるてみるに値すると思われる。森進一の「おふくろ」の何か揺るぎがたい安定感と、青山テルマの「ママ」の不安な懸命さとの間にある時の流れは、いまのわたしたちの現実を知る上で、一定の意味を持っていると思うのである。
■森進一「おふくろさん」と母親像の共同了解
森進一の「おふくろさん」がヒットした頃、たぶんわたしは中学生になったばかりだったと思うが、レコード大賞の最優秀歌唱賞を獲って、マイクスタンドを握り締めて熱唱していた姿をいまも覚えている。この70年代初めごろ、まだ社会には自明な前提とでも言うべきものが存在していたように思う。「母」とはこういうもの、「父」とはこういうもの、「子供」とはこういうものといった「あたりまえ」がまだまだ残っていたのである。その後、70年代を起点にして、これは急速に崩壊していったのだが、70年代の初めは、おそらくその前夜だったのではないかと思う。
わたしの知る限り(まだ子供だったが)、あの頃、「母」とは子供に限りない愛情を注ぐのが「当然」の存在だった。「母」は子供のためなら自らを犠牲にすることも厭わないもの(それがあたりまえ)。「母の愛」は疑うべからざるものであり、そしてもっとも尊いもののひとつであった。もちろん、現実の母親一人ひとりがすべてそうだったなどと言っているのではない。実際にはいろいろだったろう。注意したいのはそうした統計的事実ではなく、社会的にそのように信じられていたという共同了解の方なのである。
「おふくろさん」はこうした共同了解をよく表している。
おふくろさんよ、おふくろさん。空を見上げりゃ、空にある。雨の降る日は傘になり。――
作詞者の意図はわからないが、わたしには、母はあらゆるところにいて子供を守ってくれる、と歌われているように受け取れる。空を見上げれば、そこにも母はいる。そして、雨が降って困っているときは、傘になってくれる。母とはそういう存在なのである。
その次の詞は、さらに当時の社会の共同了解の一端を表している。
お前もいつかは世の中の、傘になれよと教えてくれた、あなたのあなたの真実、忘れはしない。
「世の中の傘になれ」とは、つまり、人の道を諭しているのである。人間としてのあるべき生き方を教える母。人の世の真実を語る母。昨今のように何が人の道なのか不透明になってきている状況を考えるとき、まことに隔世の感がある。いま、母にしろ、父にしろ、教師にしろ、これこそが人の道だと心底確信して語れるような、そんな普遍的真実が社会的に共有されているだろうか。残念ながら、ノーであろう。大体、「人の道」という言葉自体、死語に違いない。人の道を説く母とは、やはり当時の社会的共同了解を前提としているのである。
■青山テルマ「ママへ」に見る共通の母親像の解体
さて、その後、70年代終わりから80年代にかけて、母原病なる言葉が生まれ、母の子に対する深い愛情と見えるものも、実は母のエゴから出たもので、むしろ子供をダメにするなどと言われ、90年代ぐらいから母の子に対する虐待がクローズアップされて、母親も追い詰められれば子供に暴力を振るい、虐げるということが明らかにされてきた。こうして、母性神話が崩れていくとともに、「母の愛」という共同了解は急速に解体して行った。
とは言っても、ここでもやはり実際はいろいろだということに変わりはない。すべての母親が子をダメにしたり虐待したりするわけではない。子供のためならどんな犠牲も厭わない母親はいまもいる。いや、いまもそうした母親の方が多いであろう。注目したいのはやはり統計的事実ではなく、「母とは子に無限の愛を注ぐものだ」といった共同了解が消失したことの方なのである。おそらく、いま人々はふつう、「いろいろな母親がいる」という暗黙の了解を持っているのではないだろうか。子を虐待するひどい母親もいれば、愛情深い母親もいる。要はそれぞれの親子関係の問題なのだ、と。
青山テルマの「ママへ」はこうした了解を前提しているように感じる。
20 years of my life 育ててくれた、たった一人で支えてくれた、強がりなとこ、泣き虫なとこ、全部私はママに似ているね。私が寂しくないかと不安抱えながら、毎日私を守ってくれた。
まず、この曲にはひとつ「おふくろさん」には出てこなかった言葉が見られる。「私」という言葉である。「私」と「ママ」。不思議なことに「おふくろさん」には「私」という主体がまったく出てこない。そこで歌われているのは「私」不在の「おふくろ」であり、「空を見上げりゃ空にある」といったいわば理念的な母である。しかし、「ママへ」においては、単なる「ママ」ではなく、まさに「私」と「ママ」との具体的な関係性こそが歌われている。具体的でかけがえのない二人の固有性こそが問題なのだ。
しかし、この関係は一筋縄ではいかない。
泣いた日も笑い合った日々もケンカをしてしかられたことも、ママ our time 無駄じゃないよ。――
あるいは、
ぶつかり合って困らせて弱い私でも、いつでも深い愛で包んでくれた。――
「私」と「ママ」の間にあるのは安定した揺るぎない関係ではない。泣き、笑い、ケンカをし、ぶつかり合い、困らせる。むしろ、そこにあるのは日々手探りの不安定な関係である。しかし、その手探りの中にあって「ママ」は「いつでも深い愛で包んでくれた」。場合によっては、関係の破綻へと流されていったかもしれない、その不安定さの中で、「私」の「ママ」は流されることなく「深い愛」を持ち続けた。だから、葛藤の日々も決して無駄じゃなかった。
共に流した涙も今はかけがえのない宝物だよ、ママ、聞こえる? 心からありがとう・・・。
共に涙を流すような歩みの中で、いつも変わらない「ママ」の愛があったからこそ、「私」は「ママ」に心からにありがとうと言えるのである。
ここでは理念的な「母親像」が歌われているのではない。「私」と「ママ」が実際に歩んだ葛藤の日々が、そしてその中で「ママ」が「私」を愛で包んでくれたという事実が歌われているのである。
この「私」とこの「ママ」。では、別の母子はどうなのか? もちろん、わからない。自分たちはこういう関係であったというだけのことだ。別の母子にはまた別の関係がありうるだろう。いや、母子の数だけかかわり方の数もあるだろう。言えるのは、自分たちはこうだった、それだけなのである。
別の母子は葛藤の日々に堪えきれず、苦いかかわりになったかもしれない。到底、ありがとうなどと言うことはできない、という関係もあろう。実際、母子関係で傷を負い、母への恨みを抱えたまま癒されずにいる若い女性も少なくないという。 結局は、それぞれが葛藤し、模索し、もがく以外ないのである。
■関係性の創造
ここにわたしたちが生きる現代の状況があるように思う。美しい「母親像」が一般に共有されていた時代を、昔は良かったと正当化する人もいるかもしれない。しかし、わたしはそうは思わない。そうした虚構の下で、多くの不幸な関係が隠されていたのではないか、と思うからである。むしろ、いまわたしたちは、現実のかかわりの中で自分たちの手で関係性を構築して行かねばならない状況に立ち至っている。「母とはこういうものだ」とか「子とはこういうものだ」といった通念は存在せず、あったとしても何の力にもならない。他人を見ても参考程度だ。結局、自分たちの関係は自分たちの手で造っていく以外ない。
かけがえのない関係を、葛藤の日々の中で、自分たちの手により造っていく。ここにこそ、創造的な人生の本領があると思うのである。


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