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2009年3月

2009年3月17日 (火)

近代における自由と秩序の変遷④~20世紀の国家主義~

近代の体制には、自由至上主義、自由主義、保守主義、共同体主義(アナーキズム)、社会主義があり、それぞれ、自由至上主義は17世紀、自由主義は18世紀、保守主義も18世紀、アナーキズムは19世紀、社会主義も19世紀という起源を持つのであった。(「近代における自由と秩序の変遷③~自由と秩序をめぐる5つの体制~」)。次のテーマは、これらが20世紀に入ってどのような変遷をたどっていくのかということである。

■近代の政治体制と国家

鈴木謙介氏によれば(「情報社会の倫理と民主主義の精神」)、20世紀において巨大な存在となるのが国家である。20世紀に入って帝国主義的な動きとあいまって、国家はそれまで以上に大きな存在感を持つようになる。

わたしなりに再整理をすれば、20世紀的国家と整合性をもっていたのは、自由主義と保守主義と社会主義である。自由至上主義はそもそも自由に対する統制を認めない以上、当初国家との整合性は低かった。また、アナーキズムは中間集団を中心に社会を構成することを信条としている以上、国家を容認するはずはなかった。20世紀になって国家との結びつきをもったのは、自由主義、保守主義、社会主義であった。

まず、社会主義(正確にはボルシェヴィキ)はそれ自体プロレタリアート独裁という形ですでに国家を志向していた。つまり、国家という形態をとらなければ、そもそも実体を持たないということになってしまうのであり、それゆえ国家という形態をとるのは必然であった。1917年レーニンによるロシア革命により社会主義国家が出現する。

次に自由主義と保守主義であるが、これについては、近代化先進国と後進国について確認しておく必要がある。後進国とあえて書いたが、これは現在の開発途上国のことではない。19世紀後半に遅れて近代化した国のことである。具体的にはドイツと日本である。

近代は国民国家の時代である。さまざまな部族や民族を「国民」として一つの国家に統合しなければならない。問題はこの統合をいかにして行なうかである。近代化先進国、すなわちイギリスやフランスは分厚い中産階級の台頭によって統合を実現していった。紆余曲折はあったものの、最終的には豊かな中産階級が国民国家の中核をなしていく。彼らの自由な経済活動と、それを維持する法的秩序こそが国民国家を形成したのである。その背景にあるのはリベラリズムと言える。

それに対し、近代化後進国、すなわちドイツや日本は、十分な中産階級が育っていなかった。したがって、彼らの経済活動とその秩序をもって国民国家を統合していくということがまったく望めなかった。そこで統合の要としたのが共同体的な共通価値だったのである。ドイツの場合はたとえば「ドイツ民族の崇高な精神」といったものであり、日本の場合は言うまでもなく天皇制である。

江戸末期の日本は、いわば諸藩の連合体であった。今で言えば都道府県単位で武装して対峙しているようなものである。一歩間違えば、泥沼の内戦状態になる可能性もあった。そこで持ち出されたのが天皇である。天皇を父とし、国民を子とする家父長制的な秩序を形成することにより、国民国家としての統合を生み出そうとしたのである。天皇が本来どのような存在であったにせよ、神武以来の皇統を日本固有の伝統と見なすことにより、国民の統合の源泉としたのである。

ドイツにしろ日本にしろ、国民国家形成の土台となったのは何らかの「伝統」である。その意味でその背景にあったのは一種の保守主義であったと言える。

こうして19世紀から20世紀にかけて、社会主義の国家、自由主義の国家、保守主義の国家が誕生する。だが、これらの国家が真に支配力を持つのは、何と言っても世界恐慌をきっかけにしてであったと言えるであろう。

■世界恐慌と国家主義

世界恐慌は、自由な経済活動がいかに大きな破綻をもたらすか、それゆえ、人為的な秩序構築がいかに不可欠かを露わにしたと言える。近代とは自由と秩序の相克なのであった(「近代における自由と秩序の変遷①~叙任権闘争からホッブスへ~」)。自由を絶対視する自由至上主義から秩序に大きく比重を置く保守主義までいくつかの立場があったが、世界恐慌ほど自由の欠陥と秩序の必要性をあからさまに示した事例はないであろう。この事態が自由主義と保守主義に決定的な作用を及ぼすのである。

保守主義の国家においては、世界恐慌はよりいっそう秩序の厳格化を加速した。経済の破綻を国家による統制と植民地獲得によって乗り越えようとしたのである。たとえば、ドイツにおいては1933年のナチスによる政権奪取に始まり、日本では1932年の満州建国、1933年の国際連盟脱退、1937年の日中戦争勃発と進展し、いずれも第二次大戦終結に至るまで続いたのである。厳密な定義は別として、一般にこうした極端な保守主義をファシズムまたは全体主義と呼ぶ。

自由主義の国家においても、世界恐慌は秩序重視の方向への動きを生み出した。典型的なのはアメリカのルーズベルトによるニューディール政策である。ケインズ経済学を背景に、市場の自由に単純にゆだねるのではなく、国家が積極的に介入し、公共投資を中心として市場にお金を注入しようとしたのである。国家が一定の統制の中で経済をコントロールして、必要なところにお金が回るようにすることによって経済的秩序、ひいては政治的秩序を生み出そうとした。こうした国家による再配分の体制を一般に社民主義と呼ぶ。

さて、こうして1945年の第二次世界大戦終結を迎える。それと共にファシズム国家は消滅する。残ったのは社民主義と、世界恐慌を厳格な計画経済とブロック化で乗り切った社会主義の2つの国家群であった。では、それらは戦後どのような変遷をたどったのであろうか?

2009年3月15日 (日)

近代における自由と秩序の変遷③~自由と秩序をめぐる5つの体制~

近代のもっとも基本的な枠組みは、自由と秩序である。古い共同体性から離脱し自由を原理的価値とすると同時に、古い共同体的価値の消失ゆえに新たな秩序の源泉が必要とされる。(「近代における自由と秩序の変遷②~共同体性から公共性へ~」)。自由と秩序の相克とバランス、それが近代のもっとも普遍的な課題である。

■自由と秩序をめぐる5つの体制

この点をもう少し具体化しよう。それに際し、鈴木謙介氏による社会思想史的区分を出発点にしたい。(「情報社会の倫理と民主主義の精神」)。それによれば、近代の体制として社会思想史的には、自由至上主義(リバタリアニズム)、自由主義(リベラリズム)、保守主義、共同体主義(アナーキズム)に分けられれる。これらは、近代という宗教的秩序源泉を前提できない状況において、いかにして秩序を生み出すのかという観点から説明できると思う。(以下、鈴木謙介氏の議論を参照しつつも、私見により議論を展開していることをお断りしておく)。

自由至上主義は、その名の通り自由に対しいかなる制約も加えるべきでないとする立場である。自由と秩序という枠組みで言えば、徹底的に自由の側に立つ。では、秩序はどうなるのか? 一言で言えば、みなが自由に振舞っても、自然に秩序は生まれていく、と考える。自由と秩序を相反するものとは捉えず、自由の徹底においてこそ、自然な秩序創出が可能と考えるのである。だから、事あらためて秩序を作るために自由を制約する必要はない。

それに対し自由主義は、自由を最大限重んじるが、それだけで秩序が完全に創出されるとは考えない。たとえば、アダム・スミスは、「国富論」において、市場の自由とそのメカニズム(神の見えざる手)を説いたが、同時に「感情道徳論」で人々の道徳的共感によって利己心が抑制されることが社会秩序の根幹であることも主張している。このように自由を可能な限り擁護しつつ、何らかの秩序創出の必要性をも語るのである。

保守主義は、そもそも自由主義が前提とする合理性自体を信頼しない立場である。人間の理性が見通せることなど高が知れている。これぞ合理的と称して実行に移しても、予測できないこと、予見できなかったことによって、事は思う通り行かないものである。結局、これまでずっと国家が受け継いできた実績ある伝統に基づくことこそが、最終的によい結果を生む。保守主義は自由よりも、歴史的に秩序を生み出してきた伝統に立脚するという意味で、秩序の側に立つと言える。

最後に共同体主義であるが、ここではアナーキズム、つまり中間集団主義を指す。たとえばプルードンは「所有とは盗みである」として共有の重要性を説き、人々の相互信頼に基づく小さなアソシエーションが連合して作り上げる中間集団に媒介された社会を構想する。これにより、無制限な自由が生み出す問題を中間集団のもつ抑止力によって統御できるわけである。その意味で、共同体主義は自由よりも秩序創出を重視すると言える。

さらにもうひとつ、同じく共有の思想に基づく体制として、社会主義がある。アナーキズムが中間集団によって共有と秩序を実現しようとしたのに対し、社会主義はプロレタリアートという階級をベースとし、国家(プロレタリアート独裁)によって共有と秩序を実現しようとしたと言えるであろう。国家が徹底的に社会を統制するという意味で、社会主義は秩序を重視する立場に立つ。

このように、自由至上主義以外は、何らかの形での秩序創出を構想するが、自由主義は各自の内発的な努力のうちに、保守主義は国家の伝統のうちに、共同体主義は中間集団の抑止力のうちに、社会主義は国家による政治・経済統制のうちに、それぞれ秩序の源泉を見るのである。

歴史的に見るならば、自由至上主義は(ロックにその源泉を求めるなら)17世紀、自由主義は18世紀、保守主義も18世紀、アナーキズムは19世紀、社会主義も19世紀という起源を持つ。では、これらは20世紀に入ってどのような変遷をたどっていくのであろうか。それが次のテーマとなる。

2009年3月 8日 (日)

近代における自由と秩序の変遷②~共同体性から公共性へ~

ホッブスの社会契約論の中に政治的近代の始まりをたどった(「近代における自由と秩序の変遷①~叙任権闘争からホッブスへ~」)。確かに、社会契約論は近代の基本的枠組みを示している。そこでその特徴についていま少し見ておきたい。

■共同体性からの離脱としての近代的な自由

近代における自由とはいかなるものであるのか? イメージとして思い浮かべるといいのは、商人資本主義であると思う。ヨーロッパでは12、3世紀ごろから商人資本主義が発達していったとはよく聞くことであるが、商人たちの活動にとって旧体制は大きな障害であった。旧体制とは教会と王侯貴族による国家・社会体制万般を指す。(ちなみに、後にフランス革命では前者が第一身分、後者が第二身分、そして商人たちは第三身分と呼ばれた)。

教会も王侯貴族もそれ自体が巨大な共同体であり、独自の価値観を持ち、固有の経済システムを有していた。たとえば、カトリック教会は、商業を物を右から左へ動かして利ザヤを稼ぐだけのものとして否定し、あくまで農耕を重視した。(ちなみに、プロテスタントは商人たちを積極的に支持した)。そのため、古い農耕中心の経済体制の中で、商業活動にはさまざまな制約があっただろうし、場合によっては教会や貴族による理不尽な収奪もあったと思われる。

そこで、商人たちは自由な商業活動を欲した。職業に対する価値観から通行権や租税に至るまで、古い体制が支配する教会と王侯貴族の共同体から解放され、利益と財産を追及するための基本的ルール以外には一切縛られることなく、自由に商業活動ができること。それこそが商人たちの願いであったと思われる。

社会契約論が前提とする自由とは、こうしたイメージで捉えられると思う。血縁・地縁による政治的・経済的縛りや特定の価値観を前提とする共同体的なものからの脱却すること、それが社会契約論的発想の根底には含まれていると考えられる。近代的自由の本質には共同体性からの離脱を含意しているのである。

■共同価値からの離脱と新たな秩序

共同体性においては特定の価値が支配している。教会だけでなく王侯貴族、村落に至るまで、独自の倫理観や人生観が支配的であった。そうした共同価値の下部には、それらの体制を支える政治的・経済的システムが動いており、その全体が共同体性を構成していた。そのため共同体性における秩序は共同価値を中心に担われており、それは基本的にいわば村的な掟によって統制されていた。それに違反するものは悪と見なされて、その存在を抹殺された。掟を破る者は共同価値を否定する者であるがゆえに、存在自体が悪であり、それを抹殺することは共同体にとって正当な権利と見なされた。(異端審問を想像すればいい)。

したがって、こうした共同体性から離脱することは、共同価値からの脱却を含んでいた。自由とは経済的価値を追求しつつ、いかなる制約も受けないことを意味している。(政治からの自由と政治への自由といった区別はここでは度外視しておく)。つまり、いかなる特定の共同価値も前提とされないし、またそれを強制されることもない。逆にどのような価値を信奉しようと互いに認められる。それゆえ、存在自体を悪と断ずるような掟も存在しない。

では、共同価値が前提とされないなら、秩序は何によって作り出されるのか。それは、自由を維持するための最低限の規則によってである。確かに共同価値も、そこから生まれる掟も存在しない。特定の共同価値を強いられることもない。各人はその意味で自由であり、思うままに経済的価値を追求することができる。しかし、そんなふうにすべての者が自己利益を追求したら、ホッブスの言う「万人の万人に対する闘争状態」が勃発するであろう。そうなれば自由自体が阻害されることになる。そこで自由を維持するために最低限守らねばならない規則が必要になる。掟は特定の価値ゆえに生まれるが、規則は特定の価値に縛られないがゆえに生まれる。この、規則によって統御される領域を、共同体性に対し、公共性と呼ぶ。

■共同体性から公共性へ、国家と社会の分離

ハンナ・アーレントは意見を異にする者の複数性のうちに公共性の本質を見ているが、それはまさに、いかなる特定の価値をも強要されず、異なる価値観(パースベクティブ)をもつ者たちの出会いと相互性によってのみ維持される空間なのである。公共性とはこうした自由の空間であり、そのような自由を維持するために全力が尽くされるべき場なのである。

価値観を同じくする者がその掟を守ることではなくて、むしろ、価値観を異にする者が共存するために最低限のルールを守ること。それが公共性であると思う。近代とは共同体性から脱却し、公共性に向かうプロセスであると言えるだろう。

それからもうひとつ。こうした近代的枠組みの中で初めて国家と社会の区別が生じる。近代以前においては、国家と社会は未分化であった。共同価値がそのまま国家の秩序の源泉となると同時に、社会の規範ともなったがゆえに、価値共同体がそのまま社会でもあり、国家でもあったのである。しかし、近代においては、共同価値からの離脱のゆえに、人々の自由な振る舞いの領域と規則による秩序形成の領域は区別されることになる。前者が市民の領域すなわち社会であり、後者は統治権力の領域すなわち国家である。こうして近代になって初めて、社会というものが国家とは区別されて独自のものとして成立してくるのである。

以上、社会契約論が持つ含意を取り出したつもりである。もちろん、特定の社会契約論を前提としたわけではないし、また、時代区分もバラバラなものを一つにして論じた感もある。ただ、現代の政治状況を理解するための基本的な枠組みを確認したかっただけである。次のエントリーでさらに踏み込んでみたい。

2009年3月 6日 (金)

近代における自由と秩序の変遷①~叙任権闘争からホッブスへ~

いま政治に必要なのは、国民を心底納得させられるような論理性である(「政治に必要な国民を納得させられる論理性」)。そこで一度、近代における政治体制の変遷をごく概略でもたどってみたいと思う。

■俗なる世界の誕生

ホッブスあたりから話を始めよう。有名な「万人に対する万人の闘争状態」は、やはり近代のもっとも基本的事態を言い当てていると思う。その背景にはたぶん叙任権闘争以来の流れがある。修道院長や司教の任命権をめぐる教皇と皇帝との争いである。カノッサの屈辱が有名であるが、最終的には1122年、ヴォルムス協定で決着を見る。これによって、それまで未分化だった聖なる世界と俗なる世界が分かたれ、前者の権利を教皇が、後者の権利を皇帝がもつこととなった。

これがなぜ「闘争状態」という思想の背景となったのか? それは俗なる世界というものが聖なる世界から原則的に切り離された形ではじめて誕生したからである。両者が未分化の間は、多かれ少なかれ宗教的権威が秩序の源泉となり得た。現実の秩序がどうであれ、最終的には教皇の権威、神の権威が秩序の根源として機能し得た。人々はこの世界に秩序があることを自明な前提とすることができた。

しかし、俗なる世界は、その教皇の権威、神の権威から原理的に切り離される形で誕生したのである。聖なる世界とは別ものとして生まれた以上、俗なる世界に宗教的権威は不在である。ならば、それまで自明であった秩序の源泉も不在である。原理的に言って、俗なる世界に秩序を保証してくれるものは何もない。

■自由と秩序

とすれば、どなるのか? 19世紀になってドストエフスキーが言ったように「神がいなければ、すべては許される」。それがキリスト教的思考の基本的枠組みである。それゆえ、俗なる世界に神的権威が不在ならば、「すべては許される」ことになる。それが、「万人に対する万人の闘争状態」という思想の背景と思われるのである。

聖なるものを当てにできなくなったヨーロッパ社会にとって、「万人に対する万人の闘争状態」という根源的無秩序にいかに対処していくかが、もっとも根本的問題として浮かび上がってきたのである。秩序はまったく自明ではない。放っておけば秩序は解体する。常に秩序を生み出すことに腐心しなければならない。それが、近代の一方の中心課題となる。

しかし、ホッブスを考えるとき、もう一方の課題も見落としてはならないだろう。神的権威の不在は同時に人間を拘束するものの消失をも意味する。神的権威は秩序の源泉であると同時に、人間を捕らえる呪縛でもある。それが消えるのである。「すべてが許される」とは、すなわち、何をするのも自由だ、ということだ。何をしてもいいのである。各人は自由である。ここに近代のもっとも基本的価値がある。自由を尊重し、自由を追い求めること、これが近代のもう一方の中心課題となる。

■自由と秩序のダイナミズムと社会契約論

こうして自由と秩序こそが近代のもっとも基本的な課題となる。この二つこそが、近代の政治体制を動かしていく基本的枠組みとなる。現代に至るまで、近代の政治の動きは自由と秩序のダイナミズムという視点で見ることができると思う。

実際、自由と秩序は相反するベクトルを持つ。近代人は自由を求める。しかし、そうであるからこそ、秩序は常に解体の危険に曝されている。が、だからと言って秩序を強めれば自由が死滅する。この自由と秩序をめぐる相克的運動こそが近代を形成してきたと言っていいのではないかと思う。

自由が自由であるためには、逆説的に秩序を必要とする。自由にとって秩序は常に危険なのものであるが、それでも自由を守るためには秩序は不可欠である。逆に自由に対する過度の抑圧は秩序の崩壊を孕むゆえに、秩序が秩序であるためには、一定の自由を保持しなければならない。秩序にとって自由は常に危険なものであるが、自由を無にするわけにはいかない。こうして、自由と秩序のバランスこそが近代の決定的な課題なのである。

社会契約論は、まさにこの自由と秩序のバランスを得んとする、近代のもっとも原型となる思考的枠組みと言っていい。それゆえ、社会契約論は近代の政治体制についての基本思想なのである。

ホッブスは、「万人に対する万人の闘争状態」を前にして、秩序を生み出すために統治権力への権力委託を語る。市民と統治権力との契約である。こうして、政治における近代的思考が始まったのである。

では、それはそのあとどのように展開していくのか?

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