« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »

2009年4月

2009年4月30日 (木)

近代における自由と秩序の変遷⑨~共同体性の衰退状況における政治体制~

70年代以降の社会と政治体制の根本的な変動は、結局のところ経済、文化、社会全般における共同体性の衰退と捉えることができた。しかし、そもそも共同体性の衰退とは近代そのものの本質である。近代それ自体が、前近代的な共同体性からの離脱として始まったのであった。では、なぜ今、あらためて共同体性の衰退を語らねばならないのか?

■近代の本質の最終的な顕在化としてのポストモダン

考えてみれば、近代の本質が共同体性からの離脱だとしても、それは根本的な潜在構造上の問題なのであって、直ちにそれが現実化するわけではない。実際、伝統的なものや継承されてきたものがそう簡単に消失するわけではない。フランス革命だけ取って見ても、王制復古があり、帝政への回帰があり、約80年の歳月をかけてようやく共和制が定着した。旧体制はそう簡単に死にはしない。

われわれは話を叙任権闘争から始めたが、そこから数えれば約900年。近代は行きつ戻りつ紆余曲折を経て進展してきたと言える。共同体性はその間盛り返し、反攻を試みつつも、次第に縮減してきたのである。そして、この70年代以降現在まで至る共同体性の目に見えた衰退は、いわばその最終局面と捉えることができるのではないか。近代という構造の奥底に潜んでいた本性がようやく誰の目にも明らかになってきたのではないか。

ニーチェが神の死と言ったとき、言うまでもなく、単にキリスト教の神の無効を宣言しただけではない。哲学の歴史が、そしてそれを背景としたヨーロッパの歴史そのものが持っていた、唯一の価値があるはずだ、絶対の真理があるはずだ、だらからみんな本来一枚岩のはずだという信念の虚妄を暴いたのである。それはおそらく近代の最終的な帰結であったのだ。

19世紀末においてさえニーチェのような鋭敏な感性を必要としたこうした認識は、いまやありふれたものとなっている。唯一の価値がない? 絶対の真理がない? 立ち位置によってみんな考えることが違う? そんなこと当たり前じゃないか。別に取り立てて言うほどのことでもない。ニーチェのような深みにまで到達することはできないとしても、その程度の認識はわれわれ庶民でさえ、誰でも持っている。

力への意志や永劫回帰について何も知らなくとも、みんな同じ価値を共有しているという感覚がどうしようもなく解体して行っていることは、誰もが感じ取っているであろう。いまや近代の隠れた本性は、そこまで露わになっているのである。いよいよ、近代はその本性をあからさまに示し始めた。われわれはそういう時代に生きている。ポストモダンとは「近代の後」ではない。近代が深く蔵していた「共同体性の消失」という本性がようやくにして明々白々になる近代の最終局面を指しているのである。

■近代の最終局面における政治体制

では、その近代の最終局面において、政治体制はどのように変貌するのであろうか。戦後、60年代までは戦後復興や物質的繁栄といった国家的目標を中心に疑似的共同体が残存していた。それゆえ、自由主義圏においては、国家の積極的関与によって再配分を行う社民主義的な意味での自由主義が主流となった。もちろん、保守主義は常に底流にあって、日本においては戦前的な価値としての保守主義が自民党の中に確実に流れ込んでいた。

そのため、自民党的な再配分主義は、古い共同体性の残る地方への利益誘導を中心に推進された。それに対して社会党的な再配分主義は、どちらかと言えば都市における疑似共同体的公平性を根拠に福祉政策的なものを中心に主張された。しかし、いずれにせよ、社会党と自民党が社民主義と保守主義を標榜しつつも、「大きな政府」による再配分主義という意味で共通していわゆる55年体制を維持してきた。そして、いずれも共同体的なものの残余に依拠しつつ、国民が一丸となって高度経済成長をひた走るという背景のもとで可能となったのである。

しかし、70年代以降、疑似共同体的な統合が衰退して行った。経済的にも、文化的にも、社会的にも共同体性は急速に失われていった。そこで自由主義も保守主義も大きく変容する。簡単にいえば、自由主義は新自由主義、すなわちネオリベにとって代わられる。保守主義は新保守主義、すなわちネオコンにとって代わられる。ここのところを次にもう少し踏み込んでみていきたい。

2009年4月28日 (火)

近代における自由と秩序の変遷⑧~グローバル化とローカリティの解体~

70年代以降の社会と政治体制の変動に関し、最後にグローバル化について考えてみよう。

■グローバル化による共同体性の解体

グローバル化とは言うまでもなく、人、もの、かね、情報が自由に国境を越え、移動する事態を指している。したがって、ここまで見てきた経済的な見地も文化的な見地もグローバル化と深くかかわる。経済のおけるニーズの多様化、生活への資本浸透、情報による現実形成、異質な人間同士の共存、理論化による自明性の消失など、何をとってもグローバル化と無縁なものなどない。むしろ、グローバル化は、70年代以降の共同体性解体の中心的な駆動装置であったし、その基本的枠組みであったと言えるであろう。

それだけに、それについてここで十分な議論を展開することはとても無理であり、おいおい考えていきたい。ただ、ひとつだけごく一般的な点だけを指摘するとするなら、グローバル化は本質的にローカルなもの、リージョナルなものを破壊する、ということである。そもそも本格的なグローバル化が始まる以前、国際的な貿易体制が基本であった時代(80年代ぐらいまで)においても、IMFなどを中心に行われた融資で、途上国は市場の自由化を迫られた。そこで、それまで自給自足的に生活してきた農村が換金作物を生産せざるを得なくなり、農村共同体が崩壊し、人々は都市難民となっていった。国際貿易の自由化は途上国の共同体性を解体してきたのである。

90年代以降、共産圏の世界市場参入による人件費レベルの急激な低下に伴い、生産拠点が新興国に移転し、世界的な輸送網の整備に伴い物の移動が効率化され、さらにインターネットの出現により情報、特に金融情報の伝達スピードの飛躍的向上により、マネーゲームが加速した。とりわけ重要なのは米英による金融経済システムの確立であり、これによって世界のマネーはアメリカに集まり、そこから世界に流れる仕組みができ、このお金の流れを基本として物と人が国境を越えて動くこととなった。本格的なグローバル化である。(この金融システムが今回の金融危機で大きく退潮すると考えられていることは周知のことであろう)。

これがローカルに与えた影響は大きかった。もともと日本は80年代の日米構造協議において地方が打撃を受ける構造ができたと言える。たとえば、アメリカの圧力により大店法が導入され、地方の商店街は軒並みシャッターが降りることとなり、地域経済は壊滅的状態になったのである。それは、本格的なグローバル化に伴い、さらに固定化される。

たとえば、よく言われることであるが、2002年以降の好景気においてグローバル企業とドメスティックな企業との間に大きな格差があった。グローバル企業は中国をはじめとするBRICs諸国の急成長に乗ってバブル期以上と言われる巨大な利益を上げた。しかし国内に地盤を置くドメスティックな企業はほとんどカヤの外で、むしろ相対的には収益をさげていったと言われる。グローバルに見たときに、急成長している国・地域と縮小に入っている国・地域がマダラ模様で、言うまでもなく、BRICs諸国が急成長で、日本国内は縮小である。急成長に参画できた企業は巨額な利益を得、縮小市場に固定化された企業は利益を下げる。あたりまえだ。

こうして、日本国内に基盤を置く企業は衰退傾向にあり、ひいては日本ローカルはグローバル化の波の中で取り残されていく傾向にある。地域の共同体は言うまでもなく経済的基盤がなければ回らない。一定の産業があり、雇用があり、生計が立てられてはじめて地域として生きることができる。その地盤が衰退していくとき、当然共同体も衰退せざるを得ない。その意味でもグローバル化は共同体性の衰退に対し大きな影響力を持っていると言えるのである。

さて、70年代以降に社会と政治体制にどのような変動が生じたかを、概略見てきた。では、この変動が実際に政治体制にどのような影響を与えたのか? 次にそれを考えよう。

2009年4月27日 (月)

近代における自由と秩序の変遷⑦~70年代以降の社会的・文化的変容~

70年代以降の社会と政治体制の変容に関し、次に文化的・社会的変化について見てみよう。この観点で重要なのは、社会の公共化と理論化である。

■共同体性から公共性へ

まず、公共化であるが、これは都市化と郊外化にかかわる。近代以前の共同体性の典型は村落共同体であるが、これは都市化によって解体する。村落共同体は同質の人々によって構成されるものである。何代にもわたって熟知の仲であり、同じ生活価値を共有し、同じ掟を守り、同じ世界を生きている。それが村落共同体である。

それに対し、近代都市においては、そうした無数の村落共同体から出てきた出自の異なる人々が共に生活しなければならなくなる。出自が異なれば価値観も違う。物の見方も違う。そもそも見知らぬ人間同士だ。互いに何を考えているかもわからない。こうした人間たちが同じ地域で暮らすことを余儀なくされる。そこで必要となるのは、価値共同的な掟ではなく、公共的ルールである。そのもとで様々な価値観の人々が共存することになる。都市においては、共同体性と共同価値が希薄になるのである。

こうした公共化は都市から始まるが、さらに郊外へと広がっていく。たとえばニュータウンである。ニュータウンでは自治会があり、一定の地域活動がおこなわれたりするが、あきらかに村落共同体の共同性とは異なる。村の寄り合いは慣習や言い伝えや伝統に従って決め事をするであろうが、ニュータウンの自治会は何ほどか民主的なルールに則って話し合いで物事を決める。ニュータウンにはさまざま異なる出自の人々が集まってきているがゆえに、そもそも共通の伝統も習慣もない。あるのは見知らぬ者同士が快適に暮らしていくための規則への志向だけである。そこに本来的な共同体性はない。

こうして郊外化が広がれば広がるほど、共同体的なものは解体して行く。もともと村落共同体であったところにも、新たに宅地ができ、元の住民と入り混じる。地の人たちにとって新興住宅街の人々は「よそ者」であるが、自治会などを通して交わらざるをえなくなり、結局、伝統や習慣の通用する領域は次第に縮減して行く。共同体性の希薄化は都市に始まり郊外へ向かって広がっていくこととなる。

■あらゆる領域への理論化の浸透

さて、文化面でもう一つ重要な観点は理論化である。マックス・ウエーバーの言うように、そもそも近代は脱呪術化を一つの本質としている。雷鳴はかみなりさまが雲の上で太鼓をたたいているから起こるという素朴な信念は、科学的な因果関係の解明によって、電気現象として理解される。超自然的な力によって引き起こされるさまざまな現象は、すべて自然内部の因果関係によって説明される。

自然現象だけではない。習俗や伝統的習慣も同様である。前近代的な村落共同体においては一定の年齢になれば結婚するのが当然であった。それは自明であって疑義の対象とは全くならなかった。結婚は共同体的な共通価値であって、個人に属するものではなかったからである。しかし、近代においてはこうした共通価値の希薄化、個人化とともに、結婚は疑義の対象となる。すなわち、「なぜ結婚しなければならないのか?」とその理由が問われるのである。各人が納得できる理由を見いだせてはじめて、結婚しようということになる。見出せなければ、結婚などしないということになる。結婚することの自明性は消失し、いちいち理由が必要となるのである。

これはさらに高度化される。たとえば子育ては、前近代においては共同体全体で行うもので、そのやり方は共同体内部で受け継がれ、疑問の余地がなかった。しかし、都市化や郊外化の状況においては核家族化が進み、そうした継承もなく、たとえば夜泣きへの対処一つとっても、母親はどうしていいか困ることになる。そこで母親教室に通い、マニュアル本を読み漁る。そこには夜泣きの原因が記され、それに基づく適切な対応方法が書かれている。実はその背後には幼児教育に関する医学的、心理学的、教育学的等々の膨大な理論があって、それが個々のノウハウを支えている。母親はようやく納得して対応を試みることになる。ここでも伝承の持つような疑いえない自明性は消失し、因果関係に基づく合理的方法が主となるのである。

こうした理論化は近代においてはありとあらゆる領野に及ぶことになる。恋愛にもマニュアルがあり、就職にも就職本があり、ビジネスにおいてはマーケティング理論や経営理論をはじめ、整理術や部下の叱り方に至るまで、因果関係分析とそれに基づくノウハウが行き渡っている。何をするにも理論があり、方法論がある。全く自明で、原因や理由を問う必要もないような共同体的伝統や伝承の地盤は、理論化とともに希薄化して行くのである。

され、次は、グローバル化について考えてみたい。

2009年4月26日 (日)

近代における自由と秩序の変遷⑥~70年代以降の経済的変容~

70年代以降生じた社会と政治体制のこの巨大な変化をとらえるには、おそらく3つぐらいの視点が必要であろう。一つは経済上の変化、2つ目は文化的・社会的変化、3つ目はそれらと不可分であるが、特にグローバル化。まず経済上の変化から見ていこう。

■大量生産から多品種少量生産へ

70年代以降経済的に生じたことのもっとも根本的な事態は、市場の飽和であり、大量生産型経済発展の限界化である。物は行き渡った。テレビも冷蔵庫も洗濯機も、もはや目新しい物はない。だから、それらを大量に生産しても、みな持っているのであまり売れない。かくて、資本主義に大きな変容が生じる。ひとつは、多様なニーズに応える多品種少量生産と商品の記号化。2つ目は物からサービスへのシフト。そして、それらに伴う情報化である。

どの家庭も冷蔵庫を持っているのに、同じような冷蔵庫を大量生産しても売れない。当たり前だ。そこでどうするか? まず、冷蔵庫といってもいろいろな用途が想定されるであろう。独身者、新婚家庭、育ち盛りの子供のいる家庭、大家族、みな必要とする冷蔵庫は違うであろう。それぞれのニーズに合わせて、最適な冷蔵庫を供給することで新たな需要を掘り起こせる。多品種少量生産である。

さらに、これまでないような冷蔵庫を作ることも考えられる。同じような冷蔵庫だから売れないのだ。新しい便利な機能を周期的に追加していくことで、人々は新しい機能を得るために冷蔵庫を買い替えるであろう。加えて言えば、機能でさえある必要はない。同じ冷蔵庫に森英恵の蝶々のデザインをつけるだけで差異化ができるのであり、それによって消費を喚起できるのである。単に物だけが商品価値を持つのではない。デザインやブランドが人々の購買の対象となるのである。

こうして人々の消費者としての欲求と意識は多様化し、分散化し、差異化する。それまで同じベクトル上で同じ物を欲していたのに、各人が自分だけの欲求に基づいて、あるいは特定の集団や世代の欲求に基づいて消費行動を行うようになる。こうして国民全体というレベルで共有されていたはずの方向性が解体して行くのである。

■モノからサービスへ

次に製造業からサービス業への資本の拡大が起こる。そもそも資本主義は生産、消費という順に資本化してきた。それまで職人が共同体的に生産に従事してきたところに、工場を建て、労働者を動員し、大量生産を行い、見知らぬ者同士で生産するようになった。次にそれまで近所の八百屋さんや肉屋さんで顔見知り同士懇意な関係の中で買い物していたところに、大資本がスーバーを展開し、人々は見知らぬ店員を相手に無言で買い物をするようになった。

そして、近年、相互扶助的な支え合いの最後の牙城とでも言うべき領域に資本が進出してきている。典型的なのが介護である。介護は良し悪しはともかく肉親間で行うのが当然とみなされてきた。しかし、いまやそれも介護サービスとして商品となり、値段がつき、売り買いされるようになったのである。良い悪いを言っているのではない。資本の必然的な拡大を言っているのである。

こうして人々が共同体的相互扶助によって行ってきたことが資本化され、希薄化していく。面識圏での親密な関係が、資本を介しての機能的な関係に変質していく。こうして共同体性が縮減していったのである。

■情報による社会と現実の構成

さらにこうした資本主義の変貌に伴って情報が中心的な役割を果たすようになる。国民が等しく豊かさを求めている時代には、ともかく何でもいいから冷蔵庫を作ってさえいれば売れた。疑似共同体性の中で、国民が同じ現実を共有していると信じられたから、現実は確かな基盤と捉えられたし、その認識も容易であった。しかし、そんな時代は終わった。

どの消費者がどんな冷蔵庫を必要としているかの情報がなければ、冷蔵庫一つ作ることができなくなったのである。ただプロダクトアウトで物を作っても、売れない。あくまで市場の実態を調査し、情報を通してマーケットの現実をつかむことが不可欠となる。言い換えれば、現実はもはや国民全体によって共有されている自明な基盤ではなく、情報によってその都度再構成されねばならないものへと変貌するのである。

古き共同体と物質的豊かさへの志向で支えられていた現実が、情報の流通によって形成されるようになる。マスコミが発達し、記号的なものやイメージがあふれ、その都度ブロードキャストされた情報が現実として立ち現れる。それが人々の欲望を喚起し、ニーズを生み出し、また新たな情報を生み出し、それが現実を構成する。さらにネットはブロードキャストとは逆に、局地的なネットワークを無数に形成し、そのそれぞれにおいて特有の現実を構成する。こうして、ブロードキャストとネットワークという2つのメディアによって、情報を核として社会と現実が成り立つようになるのである。

さて、次に文化的・社会的変化について見てみよう。

2009年4月25日 (土)

近代における自由と秩序の変遷⑤~戦後の疑似共同体による秩序~

社民主義と社会主義、戦後残ったのはこの2つの体制であった。いわゆる冷戦構造である。当時一般には自由主義圏と共産主義圏と言われた。しかし、注意しなければならないのは、自由主義圏といっても国家による一定の統制を前提としていたということである。20世紀は何と言っても国家が大きな力を持っていた。それは自由主義圏といえども例外ではない。

■戦後、共産圏への対抗と再配分主義

もともとリベラリズムはリバタリアニズム(自由至上主義)とは異なり、一定の秩序形成を重視する傾向にあった。それが世界恐慌をきっかけにいっそう強まり、国家による積極的な介入が不可欠とされた。この傾向は戦後も弱まることはなかった。

その理由は、一つには、やはり、共産圏に対する対抗という点があった。当時、ソ連を中心とした共産主義諸国は、西側諸国の左翼勢力からは不平等や貧困のない理想の国と考えられたいた。そのため対抗上、西側諸国も可能な限り不平等や貧困をなくして、自由主義が社会主義以上の政体であることを実証し続ける必要があった。西側の各国政府は市場に積極的に介入し、貧しい層や地方に富が行き渡るよう再配分をしたのである。「揺りかごから墓場まで」という福祉政策もこうした背景でなされた。こうして西側のリベラリズムは社民主義の形をとったのである。

日本の場合、当時自民党と社会党は一見対立した政策を主張していたように見えるが、再配分主義という意味では同類であった。自民党が地方への利益誘導で再配分をしたのに対し、社会党は庶民や貧困層への再配分を主張したという点が異なるだけで、政府主導の再配分を考えたという点では同じなのである。もちろん、自民党が一定の保守主義(戦前の保守主義は根強く残存していた)を背景として持っていたということは否定できないが、なにせ戦後焼け野原からの再出発だったのである。戦後民主主義という建前のもと、経済復興を最優先にする必要があり、国家による再配分は必須であった。

日本だけでなく、おおよそ60年代までは、先進各国は経済的な拡大が可能であった。戦後復興と飛躍的な経済成長を遂げた日本とドイツはもとより、その他の先進各国も経済的繁栄を加速したのである。背景には産業資本主義の最後の輝きとでも言うべき事態がある。テイラーシステムとフォーディズムによる大量生産効率化により出現した物質的な繁栄は最終局面に達していた。

たとえばアメリカは50年代にその繁栄を謳歌した。当時まだ貧しかった日本から見れば、それがどれだけ羨望の的であったかは想像に難くない。が、日本も東京オリンピックから大阪万博へ至る高度経済成長の中でその物質的豊かさにキャッチアップしていくことになる。

■資本主義的な疑似共同体による秩序

こうした大量生産型の産業構造においては、世界恐慌以来の国家主義は有効に働いた。戦後復興で護送船団方式が不可欠であった日本だけでなく、たとえばアメリカでも大きな政府こそが物質的な繁栄を達成するには有効だったのである。そのため、国家は一つの大きな疑似共同体となり得た。目標は一つである。日本やドイツでは戦後復興。その他の先進各国でも物質的繁栄。国民が多かれ少なかれ一つの方向性を共有することが可能であったのである。

同時に古き共同体性がまだまだ残っていたという面も指摘できよう。50年代のアメリカはいまだ公民権運動以前で、アングロサクソン主体の”古き良き”伝統をとどめていたであろうし、60年代の日本もいまだ相互扶助的な古き村落共同体的習慣を残していたであろう。こうした共同体性の残存を背景として、物質的繁栄という共通の目標へ向かって大量生産的な産業資本主義が駆動されたのである。

共産主義圏においては国家によって自由より秩序が重視されたのは言うまでもないが、自由主義圏においてもこうした共同体性によって秩序が担保されていた。言い換えれば共同価値が人々の間で共有されていた。共通した生活前提と同一ベクトルを持つ未来。さまざまな例外はあったとしても、今から見れば、大筋において秩序的に安定した時代であったと言えるであろう。

おそらく、長きに渡る近代化の過程の中で、この時代は最終局面前夜であった。わたしは叙任権闘争から始めて近代へ至る過程を見てきた。そして、それは共同体性からの離脱のプロセスであった。もちろん、前近代的な共同体性は、自由主義や保守主義や共同体主義などによって自覚的に取捨選択されたのであって、手つかずに残ったわけではない。しかし、それでも共同体的秩序は人々が意識しないところでその残余を保ってきたのである。だが、それも60年代までであったと言える。

70年代以降、共同体性からの離脱はいよいよその赤裸々な姿を露わにする。たとえ疑似的であったとしても命脈を保ってきた共同体性の希薄化のプロセスが加速するのである。近代の最終局面が始まるのはこのときからである。

わたしたちが今もその只中にいるこの巨大な変化は、おそらく3つの視点から見ることができる。次はそれについて見ていきたい。

2009年4月 5日 (日)

金融サミット、これで本当に解決するのか?

金融サミットが閉幕した。何とも不思議な会議だった。先進国と新興国、計20もの国の首脳が集まって、警備体制だけで10億円もの費用をかけた大々的な会合であったが、どうも釈然としないのである。本当に金融危機が収束するのか? それが見えないからである。

■根本原因は信用収縮

単純に考えよう。問題には原因がある。問題を解決するためには、その原因を明らかにし、それをつぶす必要がある。さて、今回の世界金融危機の原因は何か? 

まず、きっかけはサブプライムローンの不良債権化である。このサブプライムローンがリスク分散と称して多くの証券化商品に分散されて埋め込まれていたことが事態を深刻化させた。不良債権という爆弾が隠された無数の袋が世界中の金融機関にばらまかれ、いつ爆発するかわからない、そういう状態になったのである。

で、生じたことは、金融機関が互いに信用できないという相互不信である。一般に信用収縮という。しかも、この不信は一筋縄では解決できないものである。

90年代の日本と比べてみるといい。確かにこの時も不良債権で苦しんだ。しかし、それは多分に日本政府の失策(あくまで公共投資などの財政出動にこだわったこと)によるところが大きかったのであって、不良債権自体は単純であった。つまり、それは勘定できたのである。

要するに各金融機関で、貸し出し先のリストがあり、それを優良・不良でランク分けし、特に不良とされたものの債務金額を電卓で叩いて計算すれば、それで不良債権の合計額が出たのである。

■信用収縮による資金循環の収縮

しかし、今回は違う。無数に分散されたサブプライムローンの破片がどの金融化商品にどれだけ埋め込まれているか、当の投資銀行でさえ把握できないという。そのため、各金融機関が保有している金融化商品にどれだけこの破片が入りこんでいるか、正確にはつかめないという事態に陥っている。つまり、不良債権を計算できないのだ。

計算できれば、ある意味簡単なのである。ある金融機関が100億円の不良債権を抱えているとすれば、100億円の資金を注入して不良債権用に引当させればいい。ごく単純に考えて、100億円引き当てておけば、100億円がすべて回収不能となっても、その金融機関の資産は崩れることはない。とすれば、安心してその金融機関に資金を貸し付けることもできるわけだ。

しかし、もしその金融機関の不良資産が見えないとしたら? 10億円なのか、100億円なのか、1000億円なのか、わからないとしたら? 計算しようにもどう計算していいかもわからないとしたら? 引き当てようがないであろう。しかも、不良資産がないかもしれないし、巨額かもしれないのである。

とすれば、信用できないと言うほかない。そんなところに資金を貸し付けたりすることは到底できない。こうして、資金が循環しなくなる。お金が回らないのだ。信用収縮はいわば血管収縮のようなもので、心筋梗塞で血液を送り出せないようなものである。

■まずなすべきは不良資産の算定

さて、この状態で財政出動してどんな効果が期待できるだろう? 心筋梗塞で血液を送り出せないのに、大量の輸血をする。それでどうなるというのだろう?

金融サミットでは全体で5兆ドルもの財政出動をするという。さらにIMF資金を7500億ドルに3倍増させるという。各国が財政赤字拡大も辞さないでこれだけの財政出動をするとしたら、さそがし市場は潤うであろう。しかし、たぶん、それは花火のように輝き、そして消えるに違いない。そのとき、そのところは潤っても、その資金は結局のところお金の循環運動を生み出せない。なぜなら、お金を循環させるには、どうしても金融機関を通過する必要があるが、そこが信用収縮で目詰まりを起こしているからである。そして、循環運動が起こせなければ、5兆ドルもの財政出動も、世界金融危機全体を根本から解決することにはならないであろう。

では、何をしなければならないのか? 言うまでもない。信用収縮を解消しなければならないのである。そのためにはどうすればいいのか? 不良資産を見積もって、そこに正確に資金を注入しなければならないのである。では、今回の金融サミットでそれはどうなったのか?

わたしが見る限りでは、共同声明の次の個所などが該当するであろう。

「・貸付と国際的な資金フローの回復がなければ、成長回復のための政策は効果をあげない。流動性供給、金融機関への資本注入、不良資産の問題への対処のため、銀行システムに対し、これまで大規模かつ包括的な支援を実施。」

しかし、具体的に何をするのか? 何といってもまず不良資産を算定しなければなるまい。おそらく、今回の金融危機解決にとって、ここが最大の関門なのだ。だが、それをやりきらなければ、信用収縮は本質的には解消されないと思われる。ただ、漠然と資金を投入しても、それで充分だったのかどうかもわからないとなれば、やはり信用しようがないのである。

■解決の道筋が見えない世界金融危機

素人のわたしにはわからない。しかし、金融業界はあれだけ必死になって金融工学を発達させてきたのだ。ノーベル経済学賞受賞者をはじめ、多くの専門家がいるのではないか。利益のためには働けても、問題解決のためには働けないというのだろうか。

電卓をたたいて計算できないとしても、他に算定しようがあるのではないか。どんな技術を使うのかわからないが、統計的手法のように確率論的に推計するとか、何か方法があるのではないか。

正確な算定はできないのだろう。しかし、おおよその指標でもいいから、各金融機関の不良資産の目安を明確にし、そこに正確にピンポイントで資金を注入して信用不安解消へと持っていくべきである。そのために、いまこそ経済界の英知を集めるべきなのだ。

世界の主要国の首脳が集まると言うなら、先ず最優先で話し合われるべきは、どのような方法で、どのような手順で不良資産を洗い出すかということであろう。それこそを集中的に討議し、次に不良資産を抱える金融機関への資金の効率的で正確な注入の道筋を明らかにし、そうして信用収縮をなくしてマネーが潤滑に回る体制の構築へと計画を明確にすべきである。そうしてはじめて、巨額な財政出動が金融機関を通して世界全体をうるおしていくことになるであろう。

まずマネー循環の仕組みを作る。次に財政出動を考える。どう考えてもそれが順番である。しかし、今回のサミットでは、マネー循環については申し訳程度に触れるのみで、多くが威勢のいい巨額の財政出動の話であった。

正直言って、今回の世界金融危機は、いつ解決するかもわからない状態に陥った、そうわたしには見えるのである。

« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »

無料ブログはココログ
2009年11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

最近のトラックバック