近代における自由と秩序の変遷⑮~ネオリベ-ネオコンのあとに来るもの~
イラク派兵の失敗と金融危機で決定的なダメージを受けたネオリベとネオコンの後、これから自由と秩序の関係はどのように変化するのであろうか。その関係はいかに構築されるべきであろうか。
■変わることのない基本現実
まず、確認しておかねばならないことは、ネオリベやネオコンを単純に間違っていたと言って済ませられないということである。少なくとも、それらを生み出した状況は基本的に何ら変わっていない。70年代以降の共同体性の縮減を中心とした変化は現在ますます進行している。そのため、生存志向めぐる闘いが共同体的枠組みからはずれて剥き出しになっているという現実も変わりはしない。
したがって、グローバルな競争も今後激化こそすれ、緩和されることはないであろう。グローバル化の中で優勝劣敗は今後もわたしたちの現実を揺さぶるであろう。また、国内的には市場の成熟化に伴う税収の伸び悩みや少子化による年金等のひっ迫はこれからまずます深刻化するであろう。
そうした中でネオリベやネオコンのある種の部分は認めざるを得ない。まず、ネオリベという考え方がどうであれ、厳しい競争の中を生き抜かねばならないという点は受け入れざるを得ない。特に日本全体を考えたときに、グローバルな競争の中で外貨を稼ぐことは不可欠であろう。日本はこれまでも貿易で外貨を稼いでやってきた。この点を欠いては日本の国は成り立たないし、ひいてはわたしたちの生活も成り立たない。激しい競争の中で勝ち抜くということを軽視するようなきれいごとでは生きていけないであろう。
また、ネオコンをどうとらえるにしろ、すでに自生的な共同体性が一定レベルで縮減している以上、秩序を形成するための何らかの価値を人為的に形成していかざるを得ないであろう。互いに当たり前のように同一の価値を共有できいるといった前提はとうに消えている。何がしかでも秩序を得ようとすれば、何らかの価値を共有する必要があるが、それはネオコンでなくとも人為的になされねばならないのである。
かくて、これからの政治課題の基本的方向性が見えてくる。それは、こうした状況において、しかもネオリベ‐ネオコン的なものとは別の仕方で、新たな自由と秩序の関係性を築いていくことである。もう少し踏み込んで言うなら、厳しいグローバル競争を前提としつつも、ネオリベ的なものによって自由の方に振れすぎた振り子を、秩序のほうに適切に振り戻すことである。現在の日本の政治状況はこうした方向で考えることができる。いま少し具体的に考えてみよう。
■生存志向から生み出される秩序?
まず、共同体性が縮減してしまった状況において、秩序を保持するに足りる公共性をいかに生み出すかが出発点になろう。剥き出しの生存志向は、いわばホッブスの「万人の万人に対する闘争状態」の再来と言っていい。近代の始まりにおいて想定されていた「闘争状態」が紆余曲折を経て戻ってきた、そんな感じである。実際、自生的な共同価値が希薄化した以上、自己の生存追求を中心に互いに闘争状態に陥るのは当然とも言えるであろう。
では、その闘争状態において秩序を生み出すものは何であろう? ホッブスは統治権力との契約を持ち出した。しかし、すでにグローバル化した状況においては国民国家を正当化した理屈は単純には流用できない。実際わたしたちは、契約と呼ぼうと、何と呼ぼうと、国家との関係性を明確に意識できない傾向が強いのではないか。そもそも政治状況に失望しているせいか、昨今の投票率をみても、わたしたちの政治的関心は高いとは言えない。永田町の動きよりも今月の営業成績のほうがよほど重要であろう。わたしたちは放っておいたら、自分自身の状況に閉じこもり、自分の生存志向だけを追求するという状態に陥りがちである。
しかし、各人がそのように自分の生存志向だけに走るなら、結局ネオリベ的競争に陥り、反動でネオコン的動員にしてやられる羽目になる。そこで別の仕方で新たな秩序を生み出すことはいかにして可能であろうか。
ここでいきなり理想を説くこと、倫理を説くこと、あるべき姿を語ることはあまり有効ではないとわたしは思っている。近代人として自立し、理性的となり、自らの普遍的判断で政治にコミットするなどと言ってみても、自分も含めてそんな立派な「近代人」がどれだけいると言うのか。「永遠平和のために」でカントが説いた理想は、ハンナ・アーレントを待つまでもなく、さしあたってあまりにハードルが高いのである。
実際、人は自分の生存志向に走る。自分の生存を維持するだけで精いっぱいという人が多数であろう。生存の維持と拡大こそが日々の生活の中心なのである。とするならば、さしあたって理想や倫理はいったん脇において、生存志向を追求するというただそのことを通してだけで秩序が形成される可能性を模索するのでなければなるまい。生存志向というものの中に秩序を生み出す何らかの仕組みがあるのでなければならないのである。
理想や倫理が不要だと言っているわけではない。それはいきなり目標とするには高いゴールだと言っているのである。初手からそのゴールを目指せる人間は一握りだ。重要なことはそこに至る道筋を描くことであろう。
では、生存志向そのものの中に見出される秩序生成の仕組みとはいかなるものなのか?


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投稿: hikaku | 2009年5月12日 (火) 03時16分