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2009年6月

2009年6月29日 (月)

情報分析において事実を把握するとはどいうことか

「PDCAサイクルに見る遇有性情報と情報分析」で見たように、情報分析において必須と考えられるのは事実を把握することであった。では「事実を把握する」とは何をすることなのだろうか?

■属性情報から把握される事実

まず、基本的になすべきことは属性情報の把握である。「統計的な情報分析」で詳述したのであまり繰り返さないが、当該ビジネスにとって必要な資源対象(顧客や商品、従業員など。エンティティという)を定義し、それらの属性についてデータベース化し、いつでも取り出せるようにしておかなければならない。ちなみに、データベースに格納された状態がデータであり、それが文脈に応じて取り出され意味を帯びるとき情報となる。

たとえば、ライバル企業についても、必要な属性はデータベース化されているべきであろう。資本金や従業員数はもちろんのこと、過去何年間かの売り上げや利益、商品の種類、店舗数など、ビジネス文脈上必要となるであろうデータは常に参照可能にしておく必要がある。それは情報分析の土台となる。

もちろん、すでに述べたように、この段階で、クラス値と特性値の操作によって一定の原因-結果連鎖を把握することは可能である。(「統計的な情報分析」)。しかし、実際にはこの土台の上に、さらに遇有性情報の分析が加わっていく。

ライバル企業の売上、利益、従業員数などは、属性情報として時系列に把握していくことができる。しかし、変化という意味で本当に重要なのは、ライバルの突然の新商品発売や新規出店、新規事業展開などの遇有的な情報の把握なのである。それをどれだけ早く的確に把握できるかでライバル企業に対する競争優位が左右される。

■遇有性情報として把握される事実

では、遇有性情報はどのような方法で把握し、分析すればいいのか? 遇有性情報は多くの場合定性的情報である。そこには、統計分析が可能な定量的情報に比べて、定式化された方法はあまりないように思われる。しかし、その中でも重要な視点は、事実は人の行動としてとらえられる、ということである。確かに、自然界の事実を知らなければならないケースもある。二酸化炭素排出削減においては、現在の温暖化進行状況を把握しなければならないかもしれない。だが、ビジネス文脈でいえば、事実はそのほとんどが「人の行動」にかかわる。誰が何をしたかを把握することが、わたしが何をすればいいかを考える上で重要なのである。

その意味で、遇有性情報を把握するフレームワークとして、たとえば5W1Hが有効である。

まず、基本として重要なのは「誰が(who)」「何を(what)」したかである。これが事実の中核となる。「誰が」という場合、いろいろなケースがあり得る。ライバル企業のA社であるとか、場合によっては、A社の特定の人物であったりするかもしれない。また、消費者とか市場とか、抽象度の高い「誰が」もあり得る。ともかく、誰が何をしたかを把握することが、第一に肝要なことである。

次に重要なのはそのやり方、「どのように(how)」である。たとえば、ライバル企業のA社がダンピング戦略に出た。が、それだけではよくわからない。どの商品についてどのぐらいの値引きをしようとしているのか、それがわからなければ対応のしようがない。単にダンピングをした、ではなく、どのようなやり方でダンピングをしたのか、それをつかむ必要があるのである。

そのうえで、次に問題になるのがタイミング、「いつ(when)」である。先月からダンピングしているのか、今月からか、はたまた来月からか、それがわからなければ正確な手を打てない。後追いでやるのならよほどインパクトのある対抗策を取らないと効果がないだろうし、先んじでやれるなら、先手を打ってライバルのダンピング策の効果を抑えることができる。「いつ」ということが大きな意味を持つのである。

さらに重要なのが「どこで(where)」である。それは全国的に打たれた策なのか。一つの地方だけなのか。あるいは特定の県だけなのか。対抗策を打つにしても、それを知らなければ動きようがない。相手と同じ地域でやるにしろ、別の地域でやるにしろ、より広範な地域でやるにしろ、相手の展開地域を正確につかむことは不可欠である。

そして、最後に、その意図、目的、つまり「なぜ(why)」が重要である。ライバルがそのような戦略をとるのはどのような目論見があるのか。単に単発の戦術なのか、それとも将来的な計画のための布石なのか。当社のどこを狙っていて、何を崩そうとしているのか。そうしたライバルの最終的な意図と目的をつかまなければ、長期的で有効な手は打てないのである。

このように遇有的な事実が「人の行動」にかかわるものである限り、5W1Hで網羅的な把握が可能となるのである。

2009年6月25日 (木)

官僚主権から国民主権へ

「日本の民主主義のためには政権交代が不可避」の続きである。国民の利益となる政治にしようとすれば、自民党が政権から退く以外ない、と書いたが、ならば、民主党で万々歳なのだろうか?

■日本は民主主義国家か?

実は、そういうことが言いたかったわけではない。自民党が政権から退くのは不可避であるが、それは民主党になればすべてが順風満帆という意味ではない。事はそんなに単純ではないのである。

そもそも官僚主義を助長してきたところに自民党の問題があったとするなら、民主党政権に期待されるのは、当然官僚主義の打破である。官僚が制度設計から法案作成までやり、族議員を焚きつけ、大臣に「指示」(?)し、法案を通し、それを実施する。こうした官僚の一人舞台をやめさせることである。

しかし、ここで問題が生じる。官僚以外に誰が制度設計や法案作成ができるのか? 官僚が「指示」しないで、大臣はまともに仕事ができるのか? 何んともおぼつかない限りである。

事の深刻さは、わたしたち国民が思っている以上であろう。大体、わたしたちは日本の政治がよく見えていない。たとえば、多くの日本人は日本が民主主義国家だと思っている。確かに、表面上はそうだ。選挙もあるし、議会で審議もされる。しかし、郵政民営化などに代表されるように、表面はいかにもの体面を繕いながら、内容は完全に骨抜きにするというのは日本のお家芸なのだ。

民主主義もそうだ。いかにも国民が選んだ議員によってすべてが決められ、実行されているように見える。しかし、実態は、国民の選んだ議員をうまく使いまわしながら、官僚が計画し、決定し、実行しているのである。国民の投票行動とは関係のないところで国は動いていく。こういう体制をふつう民主主義とは言わないだろう。なのに、なぜかみんな日本は民主主義国家と思い込んでいるのである。

■天皇制から官僚制へ

これは、今に始まったことではない。明治以来、日本は民主主義国家であったためしがない。なぜか? 「国民はバカだ」ということが大前提となって国が運営されてきたからである。実際、近代国民国家というのは大変である。イギリスのピューリタン革命から名誉革命へ至るプロセスも、フランスのフランス革命から第三共和制へ至るプロセスも、市民階級(ブルジョアジー)が育ち、変革を担えるだけの実力をもったからこそ可能となった。

明治維新は武士階級がおこなった革命である。武士は当時の知識階級であるが、決してブルジョアジーではない。市民階級はと言えば、きわめて脆弱であったと言わざるを得ない。こういう国で国民国家としての統合を実現するのは(つまり、薩摩だ、長州だ、会津だといった内戦状態を早期に収拾するのは)、とても市民の力ではムリである。別のパワーが不可欠である。それが、すなわち天皇制であった。

「国民がバカ」だから、代わって政治を担う主体が必要である。天皇陛下こそが、全国民(臣民)の「お父様」として、子である(つまり半人前の)国民に代わって政治に関与される(統帥権)のだ、というわけである。国全体を家父長制とするとこによって、国民は永遠に半人前にされてしまったのである。

では、戦後どうなったか? 確かに、天皇を「お父様」とする家父長制は消えた。ならば、半人前だった国民はようやく一人前になったのか? 残念ながら答えは否である。今度は官僚が躍り出たのだ。東大法学部出身の頭のいい官僚。国民にしてみれば、あこがれの東大法学部。その優秀さを思えば、その頭脳で国を運営してもらったほうが国民が下手に手を出すよりよほど安心だ。優秀な官僚に対して、「バカな国民」。というわけで、戦後も「国民はバカだから」が手つかずで維持されたのである。

■官僚主権から国民主権へ 

そして、戦後64年。確かに戦後復興から経済成長まで、優秀な官僚によって支えられた政治はうまく機能したと言っていい。しかし、経済成長がひと段落し、経済的豊かさを達成し、日本が目標を見失っていくに伴って、官僚も目標を見失っていったように見える。国家が「豊かさ」という明白な目標を持っていたときには、官僚も公僕として全体最適なコミットメントができた。しかし、目指す方向が消失するとき、官僚も何が全体最適か見えなくなる。勢い保身と官僚仲間の利益という悲しいぐらいの部分最適に捉えられていく。年金問題や天下り問題に象徴されるように、官僚はダメさ加減を露呈するようになる。

いまや、「官僚がバカだから」と言わざるを得ない状況があちこちに見られるようになった。天皇家父長制が消失した後、今度は官僚制も機能不全に陥っている。とすれば、全体最適な政治を実行できる主体は誰なのか? 消去法から言って国民以外にないのである。

今度の選挙は歴史上初めて日本国民が政治の主体に躍り出るかどうかの分水嶺となる。「国民はもうバカではない」と高らかに宣言し、官僚を押しのけ、国民自身が政治主体となれるかどうかである。すなわち、各自の利己的利害という部分最適から抜け出、日本の全体最適を目指し、そのために主体的な投票行動をとり、それによって議員による全体最適な政治が行われる。そういう国民の在り方が不可欠となる。

問題は、自民党か民主党かではない。官僚主権か国民主権か、なのである。実際、民主党だからうまくいくなどという保証は何もない。相手は霞が関だ。そう簡単に引き下がるとも思えない。得意技の「骨抜き」で政権の意志を体よく無意味化するかもしれないし、それがうまくいかないと見るや表向きわからないような仕方で実質的に仕事をボイコットして無言の抵抗をするかもしれない。民主党になったはいいが、何をやらしてもうまくいかないということにもなりかねない。

そのときわたしたち国民はどうするだろうか? 「やっぱり自民党がよかった」とばかりに、その次の選挙ではまた自民党を復活させるのだろうか。ばかげた話だ。

■苦労して手にすべき民主主義

我慢して民主党を育てるにしろ、政界再編の中で新たな担い手を支持するにしろ、ともかく粘り強く国民主権を実現していく以外ない。戦後ずっと官僚が立法と行政を担ってきたのだ。議会自体が官僚の助けなくしては法案も通せず、質疑もままならないという状態でやってきたのだから、いきなり自分たちだけで取り仕切ろうとしても、そう簡単にはいかないのである。

何年かかるだろうか。10年? 15年? 仕方あるまい。フランスでも、フランス革命が起こってからようやく第三共和制になるのに80年かかっているのだ。その間、王制復古、ナポレオン帝政など、血で血を洗う争いである。日本人も苦労して民主主義を手にするという経験をすべきであろう。

いずれにせよ、「これまで自民党に任せてきた。今度は民主党に任せよう」などという発想ではどうしようもあるまい。わたしたち国民が「自分たちが担う」と思えるかどうか、それが日本の大きな転換点であると思う。国民が担えば万事バラ色というのではない。ひょっとして、とんでもない結果になるかもしれない。しかし、そうなったとしても、ともかく自分たちでやったのだと思えることが重要なのだ。官僚が自分たちの利益のためにやったことのツケを、責任のない国民が払わされるという図式だけは何としても変えるべきだと思うのである。

2009年6月17日 (水)

PDCAサイクルに見る遇有性情報と情報分析

「属性情報と遇有性情報」の続きである。情報には属性情報と遇有性情報があるのであった。PDCAサイクルのうち、目的設定、Plan、Check-Action(ラージサイクル)は遇有性情報の活用が中心となる。これについて踏み込んでみてみよう。

■PDCAサイクルにおける遇有性情報

まず、目的設定は言うまでもないであろう。ビジネス上何を目指すかというようなことが、自社の情報システムから出てくる情報だけで決定できるわけがない。ここでは情報が触発的に機能する必要があるが、それは消費者や社会の動き、経済や政治の動向など、刻々と変動する環境について、面談や伝聞、テレビや新聞、インターネットなど、あらゆるチャネルを通じて情報を得ることによって可能になる。

環境は動く。周りは刻々と変化する。情報システムに格納されている情報などたかが知れている。何を目指せばいいか、どこに向かっていけばいいかは、この刻々と変化する状況を的確につかまなければ、到底決めようがない。遇有的な情報の分量と正確さこそが、適切な目的設定を可能にするのである。ちなみに、こうした情報はまた多くが定性的でもある。(「定性的情報が果たす機能、文脈形成」)。統計的な定量情報も重要であるが、経営者が直感的な意志決定をする場合多くは定性的情報が決定的な役割を果たす。遇有的な情報と定性的な情報が触発的な役割を果たすとき、斬新なアイデアやビジネス構想を生むのである。

次にプランニングであるが、設定した目的をどのように実現するか構想する場合にも、遇有的情報が相応な役割を果たす。なぜなら、望ましい業務プロセスの在り方においても、常に新たな方法が求められ、革新が必要となるからである。同じ目的を達成するにも、より高品質な目的を達成するならなおさら、方法は常に変革されていかねばならない。ライバル企業や業界の動向、他業種における変革など、常にアンテナを張り、新たな動きをキャッチし、触発されて斬新な方法を生み出していかねばならない。その意味で、プランニングにおいても遇有的情報が重要な意味を持つのである。

そうしたわけだから、Check-Action(ラージサイクル)においても、遇有的情報は不可欠である。なぜなら、Check-Action(ラージサイクル)は目的設定とプランニングを見直すことだからである。いったん設定した方向性も、いつまでも適切とは限らない。市場も環境も刻々と変化するのである。であれば、その変化をキャッチし、それに適合するよう方向性を定めなおさなければならない。この変化をとらえるための情報が、遇有的情報なのである。

こうして、目的設定、Plan、Check-Action(ラージサイクル)は遇有性情報の活用が中心となるのである。情報システムからアプトプットできるような情報(属性情報)は、プランを実行し(Do)、それを検証・修正する(Check-Action(スモールサイクル))場面で中心的な役割を果たすにすぎない。もちろん、それも重要だ。それがなければビジネスの実体などないからだ。しかし、ビジネスの鍵を握るのは、やはり遇有性情報なのである。それこそが常に変化する市場の中で、不断の変革を可能にするのである。

以上、属性情報だけでなく、それにもまして遇有性情報が重要であることを見た。そこで次に、属性情報と遇有性情報の両方を考慮した時、情報分析とは何を意味しているのか見ていこう。

■情報分析とは何をすることか?

そもそも論になるが、情報を分析するとは、つまり何をすることなのだろうか? まず、わたしたちは常に何らかの文脈に身を置いている。ビジネスにおいて問題に直面していたり、新たな構想を練っていたり、その都度固有の現実のただ中にいる。それはつまり、何らかの意思決定と行動を迫られているということでもある。この文脈こそが情報分析の方向性を最初に決定する。(「情報の二面性、事実と解釈」)。

意志決定と行動は何もなしでできはしない。必要なのは事実である。事実をつかむことによってわたしたちは意志決定をし、行動をすることができる。(つまり、目的を設定し、PDCAサイクルを回すことができる)。

が、その「事実」というものは、原因-結果の連鎖という構造を持っていることをすでに見た。(「統計的な情報分析」)。つまり、何が起こっているのかということと、それがなぜ起こっているのかということ、この2つが合わさって「事実」となる。もちろん、両者は相対的である。ある結果に対する原因についても、さらにその原因を問うことができる。よくビジネスで「「なぜ」を5回問え」などと言われるのも、そういう意味である。その場合、1つ目の原因は、2つ目の原因から見れば結果である。

したがって、どこまで原因にさかのぼるかによって「事実」の範囲は異なってくるが、いずれにせよ、原因-結果の連鎖が「事実」を構成するのである。

かくて、情報分析とは、特定の文脈において、意志決定と行動を目的として、事実を把握すること、と言えそうである。では、「事実を把握する」とは何をすることなのか?

2009年6月12日 (金)

日本の民主主義のためには政権交代が不可避

先日、ある主婦の方と話していて、「結局、官僚によって支配されていることが悪いんでしょう」と言われて、ちょっと驚いた。政治などには何の関心もないかと思われた彼女の口から、本質を突く発言が出たからだ。官僚主義の問題は以前からずっと言われてきたが(たとえば、ウォルフレン「日本/権力構造の謎」)、一般に理解されていたとは言い難かった。それが、いまや政治などには何の関心もなさそうな人たちにまで当然のように認識されているのである。

■族議員と官僚により身動きの取れない自民党

こうしたことが、自民党の命運をあらわしているとわたしは思う。なぜなら、官僚主義を容認し助長してきたのは自民党だからだ。「官僚主義が悪い」なら、それはつまり「自民党が悪い」ということになるのである。

自民党の一番の問題は、公約がよろしくないという点にあるのではない。どんな公約を立てようが、まともに実現できない点にあるのである。なぜなら、族議員と官僚の皆様のご承認がなければ、何一つ実行できないからだ。

朝日新聞に面白い整理がしてあった。自民党はもはや独自の政権公約を生み出す力を持っているとは思えないが、ただ、選挙に勝つために民主党に対抗していくつかの公約を付け焼刃でぶち上げた。記事では、世襲制限、定数削減、厚労省分割、農政改革の4つがあげられていた。

このうち、菅氏が主導した世襲制限は世襲議員の反発を受け、古賀氏が主張した衆院議員の定数削減は公明党の反発に会ったが、厚生労働省分割と農政改革は族議員および官僚の皆様の承認が得られなかったことによりとん挫した。

厚労省分割問題は、当初麻生首相自らが指示し、与謝野経済財政相が動いた。しかし、幼保一元化とセットになっていたため所管の文部科学省と厚生労働省双方の族議員から強い反発を受け、結局断念に追い込まれた。ある自民党幹部によれば「(幼保一元化は)国民的な人気があった小泉政権でさえできなかった。この政権でできるわけがない」との由である。

農政改革は、石破農水相が、07年参院選で民主党が農家の支持を集めた「戸別所得補償制度」に対抗して主導した。消費者の利益も考えたコメの減反見直しを焦点としていたが、自民党農林関係の族議員の激しい巻き返しに会い、結局、「骨太の方針2009」に盛り込まれなかった。

Yahooニュースには、「複数の族議員が、石破氏の言動に不満を持つ農水省幹部らとともに5月末から「石破ペーパー」の“善後策”を練り、最後は自身らの手で修正もした。その上で、石破氏には「農水省の中もほとんどが(見直しに)反対だ」とクギを刺し、農水省幹部にも「諮問会議では石破氏に紙にないことを言わせないように」と厳命した。」と生々しい経緯が紹介されている。

■政権から離れる以外ない自民党

何とも言いようがないが、族議員と官僚とのすさまじいまでの抵抗が見てとれる。

族議員が力を持ち、その背後に官僚利権構造が深く絡んでいる。この構図がある限り、自民党内でどれほど素晴らしい「改革」を打ち出されようと、それが実現されるなどということは決してあるまい。自民党は、族議員と官僚の既得権益でまったく身動きがとれないからである。

自民党がどんな公約を出すのか、どんなマニフェストにコミットするのか、そんなことは実際のところまったくもってどうでもいいことだ。どんなマニフェストを出そうが、族議員と官僚の利益にかなわなければ何一つ実現できはしないのだから。国民の利益ではない。族議員と官僚の利益である。もし、それにかなわなければ潰されるか、骨抜きにされるか、どちらかである。

とすれば、国民の利益となる政治(あたりまえだ!)にしようとすれば、自民党とその族議員および官僚との利権構造を解体する以外なく、それゆえ、自民党が政権から離れる以外ない、ということになる。

次の選挙ではその可能性がある。だからこそ、次の選挙が日本の分水嶺となり得るのだ。

2009年6月 7日 (日)

属性情報と遇有性情報

情報分析について、2月のエントリー「統計的な情報分析」以来、しばらく遠ざかっていたので、久しぶりに続きを書いてみたい。

■遇有性とは何か

「統計的な情報分析」では事実に関する属性情報の分析について述べた。物事はそもそも固有の属性をもっている。顧客には住所や性別があり、ライバル企業には固有の強みや弱みがある。それについて分析するのは当然だ。しかし、物事には属性情報以外にもう一つ重要な情報がある。遇有性にかかわる情報である。では、遇有性とは何か?

たとえば、ある家が鉄筋コンクリート製であるとか、4LDKであるとかいうのは、属性である。それに対して、その家が火事で焼けた、というのは決して属性ではない。火事で焼けることがその家の必然的な性質であったわけではないからだ。あくまでたまたま焼けたに過ぎない。つまり、偶然である。

しかし、そうは言っても、火事が起こったのにはそれなりに原因はあるはずだ。放火とか火の不始末とか。その意味で、事実を究明し、原因を明らかにすることができる。つまり、偶然的な連鎖であるとしても、そこには原因-結果の分析可能な連鎖があるのである。

つまり、家が火事になったのは、必然的はないが、全くの偶然でもない。このような必然性と完全な偶然性の中間領域を遇有性と呼んでおく。

物事の内的で固有な性質としての属性に対し、外的で付随的な事象としての遇有性。属性は物事の静的な状態を表すのに対し、遇有性は動的な状態を表すとも言える。動的な状態はまた、出来事と言い換えてもいいかもしれない。

■遇有性情報の重要さ

この場合、属性と遇有性は、相対的である。ライバル企業が突如予想もしない商品戦略に打って出た場合、その出来事性のゆえにそれは遇有的である。が、その後はその商品戦略がその企業を考えるときの前提的な固有性となるから、属性とみなされる。

そう考えると、実は重要な情報の多くが遇有的であることがわかる。属性情報は多くの場合情報システムの中に蓄積され、取り出され、分析される。確かに、それによって一定の意志決定が行われる。しかし、重大な意志決定はたいてい予想外の出来事にかかわる。あるいは、予想はしていたが本当に起こってしまったような出来事にかかわる。株価が急に下がる、売り上げが予想外に伸びない、突然のトラブルに見舞われる、等々。こうした時こそ、早急に情報を集め、事実を特定し、対策を取らねばならない。

それゆえまた、経営層の意志決定も多くは遇有的情報にかかわる。新たな経営戦略を考える場合、自社の情報システムから出てくる情報だけでは全然足りない。新たな市場の動向、他社の動き、国内情勢、国際情勢など、さまざまな遇有的情報を種々の経路で入手しなければ経営判断はできない。

■PDCAサイクルと遇有性情報

さて、以前「業務と情報、5つの視点」で、PDCAの視点からの情報定義について書いたが、それを思い起こそう。目的設定において目指すべきところを定め、Planでそのための業務プロセスを設計し、Doで実行、Check-Action(スモールサイクル)で実行を検証・修正、Check-Action(ラージサイクル)で目的と業務プロセス自体を見直す。これらのフェーズの中で、DoとCheck-Action(スモールサイクル)はおおむね属性情報の活用が中心となるのであった。

それに対し、目的設定、Plan、Check-Action(ラージサイクル)は遇有性情報の活用が中心となる。次にその点について見ていこう。

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