共同体性の解体と「小さな文脈」の併存
高度経済成長という「大きな文脈」が70年代以降縮減していった。そのことが「終わりなき日常」としての日本という「悪い場所」を露わにした。(「高度経済成長という「大きな文脈」)。それについてもう少し見ておきたい。
■60年代までの共同体性の解体
70年代以降の変容については他のエントリーで書いた。ここでは関係するいくかの点を挙げておきたい。
まず最初に経済的要因を指摘しておく必要がある。(「近代における自由と秩序の変遷⑥~70年代以降の経済的変容~」)。やはり、一番大きいのは市場が成熟化したことだ。少なくとも先進国では、モノが行き渡ったのである。つまり、あれほど望んだ「豊かさ」が達成されてしまったのだ。高度経済成長という大きな文脈が求めてきた目標が実現し終わったわけである。
とすれば、この文脈を支えてきたベクトルも消失する。人々は生きる方向性を失い始める。「豊かさ」だけを目指してお父さんは懸命に働いてきた。お母さんは家事にいそしんできだ。子どもは勉強してきた。
しかし、その「豊かさ」という目標はリアリティを失っていった。父は働く意味を見失う。母は家事に縛りつけられる理不尽に耐えられなくなる。子どもは勉強する動機を失う。こうして家族はバラバラになる。家族というものを結合していた求心力が急速に失われたのである。
さらに地域共同体や血縁共同体も解体する。(「近代における自由と秩序の変遷⑦~70年代以降の社会的・文化的変容~」)。共同体は同質性を本質とする。村落に見られるように、何代もに渡って互いに熟知の間柄を保ち、同じ生活価値を共有し、同じ掟を守る。しかし、都市化や郊外化に伴って、異質性が人間関係の基本となっていく。故郷を後にして都会に出てきた人々は互いに見知らぬ者である。生活価値観も異なり、習慣や風習も違う。この異質な者同士が社会を形成して公共的生活を営んでいくところに近代の特質がある。
同質性の関係から異質性の関係へ。このプロセスで地域社会や血縁の分厚い絆も解体していったのである。
かくて、60年代にはまだかろうじて残っていた共同体性が消えていった。高度経済成長という大きな文脈を支えてきた価値の源泉が消失し、それゆえ、家族や血縁、地域社会に支えられて駆動されてきた高度経済成長のベクトルは無力化していった。すなわち、「豊かさ」という意味、共同体的絆という価値、両者の結びつきとしてのベクトルがスパイラル的に相互作用するなかで解体を起こし、全体として大きな文脈が縮減していったのである。
■小さな文脈の併存
では、そのあとで何が起こったのか? 大きな文脈はいくつもの小さな文脈に分裂したのである。
高度経済成長という大きな文脈においては年々豊かになることを実感できたし、それによって家族の幸せ度が増していると感じられたし、さらに言えば、日本の発展に寄与していると信じることもできた。しかし、この大きな文脈が消失したいま、残ったのは小さな文脈だけ。たとえば、会社勤めの一人の人を考えてみよう。会社で一生懸命働いても、給料も上がらず、家族の幸せにつながっている実感もあまり持てないが、しかし、仕事は仕事でまずまず面白い。家庭は、仕事とは別に、それなりに充実感を与えてくれるし、苦労もあるが楽しみもある。日本の未来なるものには関心もないが、今は学生時代の仲間とのバンド活動に結構熱中している。とまあ、こんな感じである。
つまり、仕事は仕事の文脈、家庭は家庭の文脈、友達関係は友達関係の文脈と、それぞれ小さな文脈が複数あって、それぞれに小さな価値や小さな意味がある。しかし、それら全体を統合するような大きな文脈がない。そのため、小さな文脈は互いに乖離的に併存している。緊密にはつながっていない。
この乖離的状況は、価値序列の解体を意味する。大きな文脈があれば、仕事、家庭、友人は、たとえば豊かな未来といった意味のもとに有機的に結びついて、大きなベクトルを成すであろう。そのベクトルの向こうからはたえず新しい世界が出現し、これまでなかった意味が現れるであろう。
しかし、小さな文脈が乖離的に併存する状況では、それらを結びつけるベクトルはなく、それゆえ、その彼方から現れる新しい世界もない。もちろん、新しく小さな文脈が現れることはある。しかし、それは併存する小さな文脈が一つ増えるだけのことである。中身は違っても、小さな文脈であることに変わりはない。人生や社会や国に統合的な未来を与えてくれるような新たな意味などではありえない。小さな文脈が一つ増えたところで、人生全体が大きく変わることなどないのだ。なぜなら、小さな文脈はごく限定された些少な力しか持たないからだ。
こうして一つの逆説が生まれる。小さな文脈は場合によっては次々と現れる。新しいライフスタイル、新しいファッション、新しいブランド、新しい趣味、新しいレジャー、新しいゲーム、等々。すべてはめまぐるしく変化する。しかし、人生を根本から変えるような新しさを持ったものなど一つもない。その意味では新しいものなど何もない。目まぐるしく変化しているのに、何も変わらない。人生にとっての意味という点では、どれもこれも似たり寄ったりだ。結局、手を変え品を変えさまざまなものが現れてくるように見えるが、すべては同じなのである。
このことは、実は、人間の行動を理論化するという近代における本質的事態を加速するのである。


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